天才の正体

 めちゃくちゃどうでもいい自分語りなのですが、何もしてないのに『結局才能でしょ』『自分はセンスがない』『天才じゃん』とか言われるとモヤッとします。

 例えばyoutubeで再生数の多い楽曲、Twitterでいいねの多いイラスト、それらに対し褒め言葉で天才という表現が使われることが多々あると思います。しかし、勿論それが最上級の称賛であることを理解した上でそれは褒め言葉にならないよと言いたい。

 確かに見る側は完成した作品しか見えません。だけれどもその裏で制作者はとんでもない努力をしていると思うんですよね。その作品に対してだけではなく、今まで積み重ねてきたものも含めてです。そういう達を天才の一言で片付けてしまうのは何か違うと自分は考えるんです。もしかしたらやってる側とやってない側で認識に差があるのかもしれません。

 ある特定の物事、今回は作曲としますが、知識がない人はこんなものどうやって作るんだって思うはずです。音楽に触れたことがない人は知っていてもせいぜいコードの概念くらいなはず。実際自分がそうでした。だからそういう人は作曲家やボカロpなどを雲の上の存在と勘違いしてしまうんだと思います。

 勿論職業にしてる方はそうなんですけど、自分が言いたいのはそういうことじゃなくて、理解を深めようとしてないのに自分が理解できない領域に達している人間を天才と言う行為はよくないよってことです。

 

 ここまでが前提で、読めばとりあえず知らないこと、分からないことをやってみようって僕が言いたいことは理解できると思います。しかし、そこで現れるのがセンスと才能を語る無知な人々です。

 それはまず興味を持って、やってみて、努力をして、人生を賭けて始めて言える言葉です。なんでやってもいないのに、努力してないのに才能が測れるのでしょうか。なぜ知識を得てそれを使おうとしてないのにセンスを理解できるのでしょうか。本当に分かるのだとしたら自分の『才能』を測る『センス』があると思うからすぐ自分にあった職業を見つけられると思いますよ。

 ここで更に現れるのが自分はやってみたけどダメだった、と言う人達。少し広いから絞りますが人生を賭けた方々は勿論これから書く事柄には当てはまりません。尊敬します。そして、正しい手順を踏んでなお面白くなかった、苦痛だった、と思った人も除外します。好きなことやりましょう。辞めたことは無駄にはならないので他のところで活かせば良いと思います。

 残るのはなぜか才能がなかった、多分センスないわ、とか言いつつもただそれを理解できなかった者です。あなたは人に誇れるほど集中して継続的に取り組みましたか? 知識が必要な分野なら動画や教本などで正しい知識を学びましたか?

 強い言葉を使ってしまいましたが、僕はそういう人達を完全には責めないです。興味を持ち、やってみる。ここにたどり着けるのは一握りです。分野によっては情報が少ない、正しい情報がないこともあるかもしれません。だからそれをサポートできる体制が全分野に必要です。

 分からないはストレスですよね。だからそれを避けるか解消するかの2択になってしまう。解消する側に行く人はそれに対して努力する人だと思います。やってみるほど興味を持てた方ならできる限りそちらの方向に進み、楽しいと思える領域に辿りついてほしいです。

 

 センスは知識があって初めて成り立ちます。知識が前提にないものはただの型無しです。センスは知識の取捨選択なのです。才能の正体は努力そのものです。どんなにセンスがいい人でも努力が伴わなければそれまでですね。最後に天才とはセンス、才能がどちらもあり、更に型破りができる人です。

 分かりやすい例で言えば、ベタですが大谷翔平でしょうか。彼はトレーニングやフォームに対する知識があり、生活のほとんどを野球に捧げるような努力をしていて、若くしてアメリカに渡って二刀流をする型破り。つまり、僕の定義した天才に当てはまります。

 必ずしも僕が正しいとは思いません。違う意見の人は絶対にいると思いますが、今回の考え方を押しつけたりはしません。だから僕にも押しつけないでください。人間考え方など無数にあり芯が強ければそれは変わりません。そして折れない人同士がぶつかれば口論になる。それはとても不毛だと思います。

 僕に負の感情を吐き出す暇があるなら好きなことやってください。僕もやります。みんなで興味を持ったことを色々やってみましょう。

 ここまで読んでいただきありがとうございました。